michiko




はるかに遡って2015年夏~秋。妻がまだ恋人だったころ。
こういう写真展会場で妻を撮った写真がたくさんあってもよさそうなものだけど、実はとてもレア。というか、このころ僕が妻を撮った写真の数自体、とても少ない。
僕は撮り続ける人間だと自分を定義しているはずなのに、その定義に見合って妻を撮ってきていなかったし、写真を公開してきてもいなかった。

当時の僕は、いわゆる写真クラスタの関わりの中で、何人かの人たちから一方的に酷く依存し続けられていた。僕はその手の女性たちと意識的に距離を縮めて被写体とすることがとても多かった。壮年期になり老いを意識するようになった僕は、自分よりずっと若い女性らを撮っている(撮ることができる)自分に価値を置きすぎてしまっていたのだと思う。機嫌を損ねないようにその人たちの心情を優先してしまっていた。つまり僕は妻と付き合いだして以降も、妻を欺いてそれらの女性たちとの依存関係を断ち切らずにいたわけで、不実だし、不倫。既に40代で中年期だった妻を撮るより、もっと若い女性を撮ることでそれまでの写真のイメージを保ちたいという見栄や打算があったことも否めない。
そんなふうに女性を利用し続けてきた報いなのだろう、その人たちは僕が妻の写真を出すたびに僕を責めたて、また妻のことを侮辱するようなことを言った。僕はその人たちにいい顔をしたくて、あるいは面倒臭くて、彼女たちのご機嫌をとり、一緒になって妻のことを悪く言ったり、自分で撮った妻の写真の貶めまでした。そして次第に妻の写真を撮らず出さずで逃げるようになってしまった。だから、僕が撮った妻の写真はごく初期に少しあるだけで、その後はほとんど残っていない。

いったい何をしてきたのだろう、と、この5年半を悔いる。
妻を撮ろう、残そう、出せるものは出そう、とあらためて。
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