michiko


前を歩く妻の後ろを歩く。
僕は妻を見ているが、妻は前を見ている。

2016年の正月くらいの夜散歩。前に出してたけど誤って消してしまった写真。
michiko


2016年。妻。
すべての災厄は僕が作り出してきたし、すべての幸福は妻がもたらしてきた。それだけは間違いない。
cherry blossoms at


昨日。一つ前の投稿の、家のすぐ近所の満開の桜、散っちゃう前にもう一度だけ見ておこうと、雨の中、お出かけの車に乗り込む前にちょっとだけ寄ってみた。まだ咲いてた。
a hole


壁の穴。
3月某日、妻が主に過ごす部屋にエアコンを設置(越してきてまだ日が浅いので、リビングにしかエアコンがなかった)。古い物件で、その部屋にはエアコン用のスリーブ穴がなく、専用コンセント設置と厚さ二十数センチのコンクリート壁への穴開けを含む大工事となった。
エアコン代も、工事代も、僕の今の稼ぎ(昔からだが)からするとイタい出費。でも僕は妻が安心して穏やかに快適にいられる家を作っていきたいから、がんばってみた。(とはいえ、工事の段取りとかは妻が全部やってくれたのだけど……)
この写真に妻は直接的には写っていないけれど、僕はこの写真から妻を感じる。このとき妻は僕のすぐ隣にいて、僕と同じものを見ていた。今の僕にとってそういう写真はとても大切だ。
hand

僕にとって妻の手は魔法の手である。
なんでもできちゃう不思議な手。
bath


新しい家のバスタブは、これまでのより一回り小さい。手足が思い切り伸ばせるバスタブを妻に用意できなくて、実はとても申し訳ない気持ちでいる。
せめて風呂上がりのマッサージを日課にしたい。
michiko


写真はもう仕事ではなくなったので、ほかの人にとってつまらなくてもイミフでもボケててもブレててもなんの問題もない。自分ではないほかの誰かのための写真を撮らなくていい世界に、僕は何十年かぶりに戻ってきたわけなのだ。
なんの気なしに窓辺にカメラを向けると、いたずら心で妻が脚を差し出す。そんなことに心動いてそれを写し止める。今僕が大切にしているのは妻とともに生きることなわけだから、つまり僕にとって大切な写真をちゃんと僕は撮ることができたということ。
michiko


昨秋、転職転居。
今までより落ち着いて二人でいられる環境が欲しくて続けていた家探し。妻が見つけてきたこの部屋をとても気に入って、今はここで二人は暮らしている。
(本年もよろしくお願いいたします)

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回顧と懺悔。
こうして、妻と僕二人ともが気に入った家で二人穏やかに過ごせる時間は、妻の忍耐と温情の上に成り立っている。僕はこれまで、決して許されないようなひどい仕打ちを、繰り返し妻に対してしてきているからだ。
妻と付き合いだした今からおよそ7年前、僕は複数の依存的な女性との関係を断ち切れずにいた。
一人は勝手に僕の家に転がり込んで居座り、僕が何度出てってくれと言っても彼女は自らの精神病や家庭事情を理由にごねた。居座られたまま依存され続け、出ていってもらうための話し合いを続けようとすると、あなたのせいで具合が悪くなったと僕を責めた。そう言われてしまうと僕はそれ以上話し合いを続けることができず、折を見て同じ話を持ちださなければいけないという状況が繰り返されていて、僕はほとほと困り果てていた。そういう状況から逃げるように、別の女性と親密な関係になっていた時期もあった。相手には配偶者がいた。つまり不倫である。
その二つのことを隠したまま、僕は妻と付き合いだした。妻とやっていくとなれば、僕は当然それらの女性との関係は完全に清算して関わりを断つべきであったが、彼女たちの圧力に屈し、また相手に悪く思われたくないという自己保身から、僕にはそれがなかなかできなかった。
あとになってその有様を妻が知るところとなり、妻は驚愕した。このことで妻と僕がかなり揉めたのも事実。彼女らとはもう二度と関わらないと妻に確約した後も、僕は水面下でその人たちとの交流を続けた。その人たちとのやり取りの中で、相手に迎合して妻のことを悪し様に言うこともあったし、妻と僕の関係がうまくいかない原因があたかも妻の人格の問題にあるかのように、当時親しかった、彼女たちと共通の友人たちや親兄弟に吹聴して回ったりもした。これらも僕の自己保身。相変わらず僕に依存してきてきていた彼女たちは、当時恋人から婚約者へと移り変わっていた妻の存在を知りながら、言動を控えるどころか妻を標的にして嫌がらせを続けた。居座りの人に関しては妻に対抗して意地と嫌がらせで居座りを続けるという側面もあった。
僕にとって本当に大切な存在が妻なのだということがわかるにつれ、妻のことを「死ねばいいのに」とまで言ったり、SNSでの匂わせアピールなど彼女たちの言動もエスカレートしていった。ほかならぬ僕や、彼女たちから長年そんな仕打ちを受け続けた妻の悲しみは、僕の想像を超えるものであったろうと思う。実際妻は死ぬ一歩手前まで追い詰められていたのである。のちに妻は言った。「自分を欺き裏切りひどい仕打ちをしてくる人たちのためになぜ私が死ななければならないのであろう?そう思って歯を食いしばって生きた」食事すらできなくなった妻を助けたのは、妻の友人たちであった。僕ではない。
今僕にとって大切な人が妻一人だけであるのと同じく、当時も大切だったのは妻とよい関係を築くこことだけだったのは間違いない。大切なのはほかの誰でもなく、妻だけだったと断言できる。居座りの人も、不倫の人も、これまでのどの相手も、全く大事ではなかったし、僕にとってはどうでもよかった。不要で邪魔な存在だった。僕は人の非難をしていいような立派な人間ではないけれど、こき下ろすとすれば妻ではなくこの人たちをだったと思うし、周囲の人々には妻のよさを丁寧に伝えるべきだった。あくまでも自分の保身しか考えていなかった自分の痛恨の過ちである。

新しい仕事に変わり、僕が前職のときよりずっと生き生きしていると妻は言う。自分でもそう思う。付き合いだしたころからずっと、妻が勧めてくれていた職種である。この歳になっても、僕のこれまでの風変わりな職歴を最大限に評価してくれて、正社員として雇ってくれた稀有な職場でもあり、この歳からでもまだまだ長く働くことができ、自分の成長が望める場所でもある。勧め続けてくれた妻には心から感謝している。
今の家は、ロケーションがものすごくよい。窓からすぐそこに見える大きな木は僕らのお気に入りだ。いつも歩く遊歩道は、春になるときっと桜がきれいだろう。妻と散歩をするのが僕は大好きだが、家の周りだけで魅力的な散歩コースがいくつもある。
家の中に置くものは、全て二人で相談して決めている。ときには意見がぶつかることもあるが、二人で決めているということが大切なのだと思う。最初は賛成できなかった妻の意見も、実際に妻推しのものを買って置いてみると、実に合理的で使い勝手がよく、審美的なセンスも優れていることがわかる。二人で作る二人だけの場所が作られていってる。

そういうわけで、僕はおそらく生涯で一番、居たい人と居たい場所で、したいことをして暮らしている。正直、幸せである。ほかの誰ともあり得ない、妻といるからこその幸せである。
しかしこの生活が、妻の苦難と温情の上に成立しているということを僕は決して忘れてはならない。あの依存的な女性たちとでは絶対に叶えられなかった暮らしが、今実際にあるのは妻のおかげである。僕はまだ償いの途上にあり、この償いは一生続く。妻が幸せであってこその、僕の幸せである。そのことを決して忘れないために、こうしてときどき恥をしのんで懺悔の文章を書いている。
これからも幸せの報告をしていければと思う。
with the light


これも消してしまったシャン復活の1枚。

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高校生だった彼女を今でも憶えている。
とあるできごとがあって、長い年月を経て再会したのが2015年の早春。一目惚れ(直し)で、速攻で僕から口説き落として付き合い始めた人が今の僕の妻。
the day after


これも消してしまった写真だが、好きな写真なので復活。以下当時の文章そのまま。
(冬に書いた文章なので悪しからずです)

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これは2015年の暮れか2016年の年始、やはり当時住んでいた家、恋人だった頃の妻。
今の家の浴室は外気がばんばん入る構造なので、この季節は完全なるヒートショック仕様。とてもシャワーだけでは済ませられないのが辛いところ。
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